長25.1センチメートル 内反り僅か 鎌倉時代
来国俊を輩出した来派は、国行を事実上の祖とし、鎌倉中期より粟田口派と共に山城国で活躍した一派である。年紀より来国俊七十六歳の作と判り、短刀の名手の名に相応しく、地刃の出来優れ、しかも六百九十余年の星霜を経て健全であるのが好ましい。古来「熱田の来国俊」と称せられ著名なものである。