第一回 | 「剣の宝庫 草薙館」の開館に向けて|剣の宝庫 草薙館

「剣の宝庫 草薙館」の開館に向けて 福井款彦

令和三年秋の刀剣専用展示施設「剣の宝庫 草薙館」のオープンに向けて工事が着々と進んでいる。
今回、編集担当者より日本人と刀剣との関わりや、熱田大神に奉られた宝刀とその歴史的意義などについて纏めよとの依頼を受け、漏れ聞く草薙館の展示構想をも織り交ぜながら紹介してみたいと思う。
抑も、一般の美術館や歴史館とは性格を異にする神社博物館の一部である以上、我が国の刀剣文化を踏まえて、その制作技法や美術性は言うまでも無いが、これまで比較的等閑にされてきた精神性がより強調されて然るべきであろう。
ただ、この精神性を展示で如何に表現するのかは至難であり、担当者には頭の痛いところというのが現実である。そう容易い課題ではない以上、初めから完璧を望まず、拝観者はじめ多くの方々からのご批判やご意見を真摯に承りながら、年々改善を加えて行くのが良策と考えている。小稿もその踏み台となればこの上ない幸である。

「剣の宝庫 草薙館」竣工イメージ

「剣の宝庫 草薙館」竣工イメージ

第一回 神道から見た刀剣(一)その精神的用途と基層の刀剣観

武器でない刀剣の用途

 刀剣の精神性について考える場合、日本人が刀剣を武器としての他、どの様に考え、用いてきたかを歴史上に見出して整理することが大切でしょう。この点についてはかなりの事例の存することは予想されますが、先学の業績を踏まえて、筆者なりに検討した結果、概ね以下の三種に分類してみました。
(1)神霊を象徴する神体またはその依坐(よりまし)としたこと。
(2)神霊等への幣物・奉納、人への贈答品として用いたこと。
(3)守護・辟邪・降魔などの神具・呪具。
 時代によるニュアンスの違いがあったり、それぞれが重複したものを兼備する場合も多々ありますが、この分類で大凡の説明がつくと考えています。
(1)の神体または神霊の依坐とされた事例は、草薙神剣の熱田神宮や天剣布都御霊を祀る石上神宮・鹿島神宮など著名な神宮神社だけでなく、昭和三十三年に国宝に指定された高知県の小村神社(国史現在の古社で、後土佐国二ノ宮)の金銅荘環頭太刀(七世紀頃の作)は、出土品でなく、神体として長く本殿に伝世されてきた尊きものでありました。また、後世の事例では、刃物製作を生業とする集団がその始祖的人物の作を神聖視してご神体として祭った例(越前武生の千代鶴神社など)もあります。このように、刀剣を御霊代(=依坐)とする全ての神社の御存在自体がその証左であり、この事例は刀剣の作者の真偽問題や美術的評価を超越するものでもあり、刀剣の精神性を最も極めたものと考えています。刀剣を霊器として尊ぶ精神的な営みは恐らく神々の住まいとされる常設の社殿が設けられる以前の所謂「神道の始原」近くよりあって、その後も様々な影響を受けて変容しつつも、間違いなく今日まで受け継がれ、我々日本人の深層に流れているのだと考えられます。
(2)の神などへの幣物・奉納、人への贈答品として用いられる事については、神への幣物・奉納の場合、神が刀剣などの兵器・武器を好むということが前提になりますが、『日本書紀』垂仁天皇二十七年条に「祠官に令して、兵器を神の幣とせむとトはしむるに、吉し。故、弓矢及び横刀を、諸の神の社に納む。」と記載されていて、その点はクリアしているわけです。他には祈禱の霊験や神のお告げ、即ち御神託によって奉納した例も見られます。この奉納という行為も、今日まで営々と続けられており、刀剣の精神性を考える際に様々な示唆を与えてくれます。その代表的な事例を三回目の「奉納刀 熱田神宮の宝刀」で具体例を挙げて紹介したいと思っています。
 一方、人と人との間に於ける贈答についても、相手に対して敬意を表することが基本にあり、降参や服従を示したり、更なる関係強化を期待する場合に行われる傾向がみられます。贈答は下位の者から上位の者へと行われる進上・献上の類が多いのですが、「節刀」のように期待大きな任務遂行のため、或いは返礼や賞与として上位から下位の者に授けられる場合も少なくありません。下賜された者にとっては名誉なこと、その賜り物とともにその実績を子々孫々へ伝えんとしている書付など屡々目にすることがあります。さらに次の(3)の意味合いを含み刀剣に守護・辟邪・降魔などの霊威を念じながら贈答する場合もあります。
 なお、幣帛・奉納や贈答に用いる刀剣は、そのため新規に制作する場合が多く、また神威などの伝承があり、清明なる美を湛え、伝世重代の宝剣の類も好まれ用いられた事などがわかります。また奉納や贈答は祝意を込めたり、めでたき結果を祈願して行われる場合が殆どのようです。
 皇室では、親王・内親王がご誕生になると、その日直ちに「賜剣の儀」といい、天皇から誕生間もない幼子に守り刀(内親王の場合は袴衣も)が下賜されます。平安時代の公家の日記などにこの儀の元儀と考えられる記事が散見され、その初例は寛弘五年(一〇〇八)に遡る古いものです。その意味するところは、邪悪なる物を寄せ付けぬ剣の霊威を以て、誕生間もない幼子の無事成長と将来の安寧とを祈るものと考えられています。
 この儀は今日にも確かに伝えられていて、親王が妃を迎入れられた時にも、妃に対し同様に天皇から守り刀が贈られます。こうした守り刀、今日では常寸という刃長二十四糎前後の短刀が用いられ、事前に重要無形文化財所持者、即ち所謂「人間国宝」に認定された刀匠等に下命があるようです。
 他にも、天皇が日常執務される清涼殿に安置されていた「昼(ひの)御座(おましの)御剣(おんつるぎ)」や皇太子相伝の「壺(つぼ)切(きりの)御剣(みつるぎ)」などもあって、これらは、皇室が刀剣を霊威ある物として今に尊重されている一端を示すものでありましょう。
 (3)の神具・呪具の類は、恐らく刀剣の武器としての機能的特性に元来付随していた呪術性の展開したもので、これもかなり早くから存在していたのだと考えます。
 神話では、イザナギノミコトが、死者の国から追ってくる邪気を寄せ付けず追い払うために、後ろ手に剣を振り振り(タチカキ)逃げ帰ってきたという話があります。また、神武天皇が即位前に熊野で正気を失われた時に、高倉下が齎(もたら)した天剣によって正気を取り戻され、荒ぶる神(敵兵)が自ずからに斬り倒されたというのも、刀剣の霊威を語るものであり、東西の文忌寸部が横刀(たち)を献じて天皇の長寿を祈る呪文が平安時代の『延喜式』にも見えています。その他にも道教や仏教などの思想的影響をも加えて今日まで多種多様にあるようです。
 身近なところでは、悪鬼を祓い幸福を願う里神楽などの舞に用いる刀剣類、死者の周辺に群がる邪気を寄せ付けないためという枕刀等が代表的なものでしょう。「剣祓い」と称される剣形の神札はそうした影響を受けていると思います。
 私情で恐縮ですが、子供の頃、親から刃物は神聖な物であり、決して跨いではいけないと強く躾けられました。跨ぐだけで身体の何処かに必ず切り傷が出来るとも言われ、知らず知らず迂闊にも跨いでしまった時、不思議に小さな切り傷を見つけては幼心にその霊威を感じていましたが、数年前、ある神社では祭札の初めに刀剣を跨ぐ行事があることを知り驚きました。何故なのかをそこの神職に問われ、咄嗟のこととても上手くお答えできませんでしたが、よくよく考えればこれもまた刀剣の霊威を踏まえた禊祓の一種なのだと思います。身に邪悪な物が宿っていたら神前に出ることは憚れる。それを刀剣の霊威で事前に断ち切るという意味なのでしょう。密教や修験などでよく行われる滝行では剣印を結んで九字を切り、或いは実際に刀剣を身に当ててから臨むようで、邪心邪念を絶つという同じ意味合いを持っていると考えています。
 以上が武器以外の刀剣の用例傾向について三分類した根拠です。相互の関係もあって複雑ですが、どのようなものがあるのか、大概はご理解頂けたかと存じます。

国宝 金銅荘環頭大刀 小村神社蔵

国宝 金銅荘環頭大刀 小村神社蔵 (講談社『国宝大辞典』より)

神話の中の刀剣 基層の刀剣観と神剣草薙伝承

 日本の神話には様々な刀剣が出てまいります。こうした刀剣に関する神話は、金属器を使用し始めた時代にその原形が出来上がっていると考えられますが、そこには、武器としての優れた機能性やそれらを使用した戦闘の勝利などを直接的に誇るのではなく、結果として国土や神々の誕生、さらには食物の発生や神威顕現などを物語るため、象徴的に描かれているのが特徴です。即ち我々の祖先は、刀剣には国土や神々、或いは食物などの新しい生命などを生み出す働きがあると考えていたことが解ります。このことは日本人の基層にある刀剣観の一つで、重要だと考えています。
 (〇以下、神名については煩雑を避けてカタカナ表記とし、本意ではありませんが、「カミ」「ミコト」などを省略しました。そうした神話の中で最も著名なのが「草薙剣」(クサナギノツルギ)であります。)
 この剣は初め「都牟羽大刀」(ツムハノタチ)・「天叢雲剣」(アマノムラクモノツルギ)と呼ばれ、アマテラスの弟スサノオがヤマタノオロチという大蛇を退治したとき、その尾より獲得したものです(この神剣出現についても、大蛇=川と氾濫 川砂鉄と製鉄=神剣出現 といった背景も考えられています)。スサノオはその神威を感じて私せずに天上の姉であるアマテラスに奉り、後にアマテラスより皇族ニニギに八咫鏡・八尺瓊勾玉と共に三種の神器の一つとして授けられ、歴代の天皇(=皇孫)により、その御位と共に継承されてきました。
 さらに古代の英雄ヤマトタケルを経由して熱田神宮に祀られ、現在に到っておりますことは周知の通りであります。(神話伝来のツルギは熱田神宮に祀られています。天皇の御側にあり、その守護(護身御璽)として実際に御代々に拝受されてきた宝剣は崇神天皇の時に奉製された御代器で平家の滅亡時に安徳天皇と共に海中に沈まれて後は、一時清涼殿安置の昼御座御剣が代わりを務めましたが、順徳天皇即位の時からは伊勢の神宮から進上されたツルギが用いられ今日に到っています。)
 この神話に代表される剣とも云うべき草薙剣について考える場合に大切なことは、このツルギで神や人を斬ったという話が伝えられていないことです。
 使用されたのはタケルが東征に持参(これも叔母で伊勢の神宮の斎王であった倭姫命から授かっている)してその途次、駿河(相模とも)の地で敵の謀略にはまり、野原で火をつけられたときに周りの草を薙ぎ切って危うくその難を逃れたという事しか伝えられていません。そして、この出来事により「草薙剣」と改名したと説明されています。
 さらに注目すべきは、『日本書紀』の本文の注には、一云、王所佩劔叢雲自抽之、薙攘王之傍草
(一に云う、王の佩せる所の剣叢雲自らに抽け、王の傍らの草を薙ぐ)
とあり、即ちタケルの意思によって薙ぎ切ったのではなく、剣が自然に抜け出て草を薙ぎ切ったとの伝えがあることです。そしてこの「自抽」、意を受けて換字すると「自抜」ですが、その話は、遅くとも十二世紀頃までには成立したと考えられる『熱田大神宮縁記』でも
 其所帯神剣、自然抽出、薙四面之草、
(その帯するところの神剣、自然に抽け出て、四面の草を薙ぐ、)
と見え、受け継がれています。
更にこの自然に抜け出て主人を守るという働きをする話のモチーフが、その後の名剣説話(平家相伝の「抜丸」など)にも見られて興味深いものです。
草薙剣には、この他にも尋常でない輝きを発していたとか、普通の者では手にすることが出来ないという話も伝えられていて、「神(あや)しき剣」としての要件を知ることが出来ます。
 こうした伝承を今日では非科学的な話だと一笑に付す人も少なくないでしょうが、刀剣には人智及ばぬ神々の作用ともいうべき不可思議な事が起こり、それによって不祥を避け、所持者を守護したり、幸いをもたらすと古くから考えられていたのだと理解することが大切であります。
  刀剣は捧持するだけでも不祥・邪悪なものを避け、長寿・子孫繫栄する力があると信じられ、身から離さぬように守りとして大切にされていたことは、伝世や出土の刀剣類に象嵌された文字にも

…上應星宿、下辟不祥
 (重文 東大寺山古墳出土大刀金象嵌銘)
…服此刀者長寿、子孫洋々得三恩也…
 (重文 江田船山古墳出土大刀銀象嵌銘) 
…口辟百兵…永年大吉祥 
 (国宝 石上神社「七支刀」金象嵌銘)

とあり、それを確認することが出来ます。
 人によっては、漢字が未だに普及していない時代であり、海外の影響、其の侭真似ただけではと言います。確かに広く東アジア地域に於ける刀剣観と捉えるべきでしょう。しかし、他の国の精神史までは良く存じませんが、周辺国では栄枯盛衰の中で、伝承が途絶えて忘れ去られたようですが、少なくともそのような刀剣観を今日まで永永と伝え、更に広めて深化発展させたのは、紛れもなく日本人と日本人だけではないかと思っています。
 また、話を戻してタケルとツルギの物語を俯瞰してみると、草薙神剣は東夷征伐という大役を担われたヤマトタケルへのヤマトヒメを介しての神授の節刀のようでもあり、現実的には命をかけた当時の旅の必需品でもあった火種を備えた守り刀(火打袋を付した刺(さす)刀(が)=腰刀)としての性格もそこに込められているものと考えています。
 そして、佩いていた剣を解き、ミヤズヒメに授けて、「宝持此剣、為我床守」(この剣を宝持して、我が床の守りとせよ)とかけられたヤマトタケルのこのお言葉には、ツルギが神璽やお守りとなることを明確に示されていたのだと考えられます。(『熱田大神宮縁記』。『釈日本紀』所引の「尾張国風土記」逸文には「此剱神気、宜奉齋之為我形影」(此の剱は神の気あり、斎ひ奉りて吾が形影とせよ)とある。)
 なお、『万葉集』にも、刀剣の切るや断つ、或いは突くという機能面を謳ったものは少なく、身に添(副)ふや腰にとり佩(帯)く、そして刃や名に掛かる「劔刀(つるぎたち)」、利(と)きや磨(と)ぐに掛かる「焼刀(やきたち)」、輪に掛かる「狛劔(こまつるぎ)」などの冠辞すなわち枕詞として多用されていて、様々な事を教えてくれますが、同じ枕詞ですが、斎(いは)ひにかかる「劔刀」「大刀」という例が見られるのは興味深いものです。
 イハフ(祝・斎)という動詞は奈良時代には呪術を行うという意味であり、一般的に予祝的なものを含むと解されて、イツク(畏敬)・マツル(奉)等とは微妙に相違しますが、各々祭祀の具体的行為に対する古語であり、後には祭祀全般を意味する同義語として使われています。神霊を意識し、そのなにがしかの働きを期待する行為であり、そこには刀剣に託し、或いは媒体(呪物)とする場合のあったことが知られるからです。
 このように見てまいりますと、我らの祖先が遠い遠い神々のお話として子孫に伝えたかった事の真意、それを我々は意外にも良く受け継いでいるのかも知れません。

(文化研究員)

次回は「神道から見た刀剣(二) 日本刀事象の神道的解釈〜刀匠・手入れ・鑑賞〜」

日本武尊像 佐藤正教画(部分) 熱田神宮蔵

日本武尊像 佐藤正教画(部分) 熱田神宮蔵

剣が自抽したという意を受けて描かれている。画上には明治時代に宮司を務めた角田忠行の「天てらす 神のみいつを 草薙の この御劔に 見るそかしこき」との賛がある